8.1 ブロックチェーンでなくてもできますよね?

この質問は定番だ。そして、またブロックチェーンのプロジェクトの推進者にとって、どのように答えて良いか悩まされる質問でもある。

質問者としては、別にブロックチェーンでなくても、従来のやり方でセキュリティを高めて改ざんできないようにして、取引記録をおこなうことができるという主張である。

まず、そもそもこの質問をする人と、ブロックチェーンの推進者の間には、中央集権主義と非中央集権主義の思想の違いがあることを認識することは重要だ。質問者がこの思想の違いを認識していれば、議論はまだしやすいが、思想的な違いがあることを認識していない場合は、議論がしにくくなる。

国家運営に喩えて話をするとわかりやすい。

国家は社会主義的にも運営できるし、民主主義的にも運営が可能だ。どちらの運営方法でも、国民が経済的にも社会的にも幸せに暮らしているのであれば、どちらでもよい。しかし、個々人のレベルでみるとどちらの国に住みたいかは、意見が分かれる。本人が、既得権益者側の人間なのか、体制側の人間なのか、まったくそのようなしがらみのない人間なのか既存の社会的身分や職業によっても、その意見は影響をうけるかもしれない。

ブロックチェーンの議論も同様である。中央集権型のアーキテクチャーでも、非中央集権型のアーキテクチャーでも安全かつ効率的にデジタル資産が保存・交換されているのであれば問題はない。しかし、どちらのアーキテクチャーでシステムを作るのが良いのかというはなしになると意見は分かれる。

既存のシステムがあるのかないのかにもよるかもしれない。どのような関係者がプロジェクトに参加するかにも影響をうけるだろう。

ブロックチェーンには、第1章にあるように、トラストレスという考え方がある。どんな信頼関係のない人でも適切に取引を完了することができるアーキテクチャーを作ることが前提となる思想である。

中央に信頼できる人がいればよいという考え方の人に、「その中央の人は信頼がならない」と主張しても埒があかない。前提が違うからである。

本項の主題の質問に素直に答えると、「はい」ということにはなる。ただ、フェアな議論をするためには「中央集権型のシステムでなくてもできるよね?」という質問をしてもよい。これも「はい」という答えになるだろう。

結局そのような思想をもった人たちが検討中のネットワークを構築したいのかによってその答えは変わるということだ。

ブロックチェーン推進者はもちろんトラストレスで非中央集権型の思想を持っているはずである。