医療には「医師 対 患者」という基本構造がある。
医師は医学の専門家であり、医師法のもと、国家より診療行為をおこなってよいという免許を保有している。
一方で患者は、一般的に医療や病気の専門知識を併せ持っていない。若い頃は特に健康や医療に大きな関心を持ったことがなく、ある程度の年齢に達した頃に病気になって初めて診療所や病院を訪れ、病気、医療、保険に関心を持ち始めることは珍しくない。関心を持てば良い方で、人によっては、よくわからないと理解しようとすることすらしない場合もある。
このように、医師と患者には、一般論として知識や経験の大きな非対称性が存在し、患者は極めて脆弱な立場である。しかも患者は病人であるという、その存在そのものが弱者であることも、この非対称性を増大させている。
この構図において、少しでも患者にパワーを与えることはできないだろうか。
患者に何を授ければ、患者はパワーを持つことができるだろうか。
この解になりうるのが、患者自身の健康医療データである。
医師にとって患者の健康医療データは、研究材料であるからだ。
患者はこれまで医師に健康医療データを無償で授けてきた。そのデータは、患者が「研究目的のために使用することがある」という同意書に署名をした場合には、医師の医学研究に使用されることがある。
医師はその研究成果をベースに医学界において出世を果たし、より高い社会的地位や報酬を得ることもある。
この構造のなかで、患者は自らの健康医療データを提供することに見返りをえることはない。研究成果を共有されることもない。
患者は少しばかりの自らの健康医療データに関して何らかの権利を主張することは許されないのだろうか?
これまでこの論点が社会問題として活発に議論されたことはあっただろうか?
もしこの論点がそれほどに議論されない理由のひとつが、データの取り扱いの問題などテクニカルな要因であれば、ブロックチェーンは、この点において貢献することができるだろう。
なぜなら健康医療データはデジタル資産だからである。
そのデータが、特定のある患者のものであると証明が可能で、患者自らがそのデータの受領、譲渡、保有するパワーを持てば、もうすこし、医師と患者の非対称性が補正されるのではないだろうか。
これは医師にとって損になる話というわけでは必ずしもない。健康医療データを施設を超えて共有する可能性があるからである。それによって母数が増えてより質の高い医学研究ができるようになるであろう。研究はその仮説と検証によって競争がなされるべきで、健康医療データが競争点になるべきではない。健康医療データは共有財産として捉え協調して規模を確保することが大切である。