私は海外に行きたかった。
横河電機入社直後の研修で、スタートアップ部というプラントの立ち上げを専門に行う部門があることを知る。
この部門は海外プラントの立ち上げの機会も多い。そこで私は同部門への配属を希望し、6月に希望通り配属された。

その年の夏、私は課長に呼び出された。
「サウジアラビアとナイジェリア、どっちに行きたいか?」
突然の質問にたじろぎつつ、かろうじて「サウジアラビア」と特に根拠もなくイメージで答えた。
そして、新卒1年目でサウジアラビアに行くことが決まった。この会社で新卒が1年目から海外に行くのは私が初めてであったらしい。
サウジアラビアでは7ヶ月間、エンジニアとして肥料プラントの立ち上げに携わった。

時は、湾岸戦争直後、まだ散発的にミサイルが飛んだり、アルコバールという街に繰り出せば迷彩服を着たアメリカの軍人が歩いている頃。
日本から来たエンジニアというだけで、私の下には2人の私より経験のあるフィリピン人が仕事を手伝ってくれることになった。
プラントの仕事は彼らの方がよく知っており、いろいろなことを教わった。

このサウジアラビアでの中期にわたる滞在は、エンジニアリングという技術やプロジェクト管理を学ぶだけでなく、宗教、文化、戦争、国家など様々なことに気づきや問題意識を与え、私の感受性を豊かなものにしてくれた。

サウジアラビアから帰国後、海外の仕事を多くするようになった。
中国、韓国、シンガポール、アメリカ、そしてナイジェリア。
もともと海外好きな私にとって水を得た魚のように飛び回った。

シンガポールの仕事は印象的だった。お客さんはロイヤル・ダッチ・シェルグループ傘下のShell Eastern Petroleum。東南アジア最大のガソリン供給拠点だと聞いた。
立ち上げるシステムは、世界初のUNIXをベースとしたCENTUM CSという分散型制御システム(DCS: Distributed Control System)。

それまでプラントでは各メーカーが独自開発したOSやアプリケーションでプロセスを自動制御するシステムを使っていた。しかし、横河電機は当時世界に先駆けてUNIXというオープンソースをベースとしたシステムを開発した。インターネットにも使われている技術であり、画期的な製品であった。

そんな最先端の製品を世界一流のお客さんを相手にシンガポールの現地で立ち上げを行うという好機にわたしは恵まれた。会社はシンガポール人のチームの中に本社とのパイプとして私をプラントの現場に送り込んだのだ。

新しい技術をベースとしたシステムである必然として多くの問題があったが日々問題解決に取り組み無事プロジェクトは完了した。お客さんの評価も高かった。このシステムはその後横河電機を支える主力製品へと成長した。

なぜその時、私のような若者がこの好機に恵まれたのか?
それはUNIX/Internetといった技術が世の中を変えていたからだ。
多くの先輩のエンジニアの中で、この新しい技術を扱える人は少なかった。
なので、若者にチャンスが巡ってきたのだと10年以上たった後に理解した。

やはり技術が世の中を変えていくのだ。特にインターネットは破壊的だった。
そして、いまブロックチェーンがインターネット以来のパラダイムシフトと言われている。
この技術について一部懐疑的な見方をする人たちもいるのは知っている。
しかし、ブロックチェーンの本質が見えてしまった人たちはその魅力を忘れることがきない。
そしてこの技術を社会に役立てるべく実用化方法を試行錯誤するのだ。

そして私もこのブロックチェーン技術を通して世の中に貢献していきたいと思う人間のひとりである。

​前田琢磨
代表取締役
​ハッシュピーク 株式会社
​2019年1月